水俣学 水俣学
チッソ水俣工場正門 百間排水口八幡残渣プールチッソ附属病院仕切り網水俣湾埋立地 坪段(坪谷) 湯堂 乙女塚 御所浦島と水俣病
チッソ附属病院水俣市の中心街の一角に、神戸の灘生協の次に単位面積当たりの売り上げを誇った「水光社」がある。その建物と西側の水俣第二小学校との間に、「水光社ホームセンター」や駐車場、駐輪場、花屋、洋装店などがある。この水光社と第二小学校との間にかつてはチッソ附属病院があった。1969(昭和44)年7月閉鎖。
チッソ工場の従業員の診療所として発足した附属病院は、1948年10月、企業内診療所から、水俣では初めての総合病院として、多くの患者の診療にあたった。特に水俣には、まだ市立病院も建設されておらず、九州各県はもちろん、全国から優秀な医師と看護婦が集められた。入院病棟を持ち、診療科目もほとんど揃っていたところから、町の開業医も自分のところで手におえない患者を紹介したり、分からないところは相談に来たりするといった調子で、1年間の外来患者数が10万人に達することもあった。
ちなみに1955年、チッソ健保組合員数は下請け関係も含め、約2万人もいたという(水俣市の人口、46,233人)。
この附属病院へ1956(昭和31)年4月21日、5歳11カ月の女児が脳症状を主訴として小児科を訪れ、同月29日、その妹が同様な症状で入院した。その二人のこどもの母親から、隣家にも同じような症状の患者がいることを知った当時のチッソ附属病院の細川一院長は、同年5月1日、水俣保健所(伊藤蓮雄所長)へ「原因不明の中枢神経疾患の患者が多発している」と報告した。
これが、後に水俣病の公式確認日とされる。

(注:水俣学ブックレット No.3「ガイドブック 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ」より一部抜粋)
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