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不知火(八代)海を隔てて水俣の向こうに細長い島が御所浦島で、やや三角形に似たのが獅子島である。御所浦島は天草で熊本県、獅子島は旧東町で鹿児島県である。御所浦島は御所浦島、横浦島、牧島の3島の21.57km2からなる。主な集落は嵐口、本郷、大浦、本浦、椛の木などがあり、水俣病が発生した当時、8,500人あまりが住んでいたが、現在は4,000人あまりとなっている。ほとんどが漁業および関連産業(半農半漁)である。水俣から直線距離で約15キロであるが、島の小高い丘からは水俣がよく見え、チッソ水俣工場のサイレンが聞こえる。水俣川の流れは直接この島の梅戸の崎に流れ着くという。1971(昭和46)年、熊本大学医学部第二研究班が調査をするまで御所浦には患者はいなかった。それは調査をしていなかったし、申請者もいなかったからである。どんなに考えても水俣病患者がいないはずがなかった。1959年には獅子島や御所浦でネコの発病が確認されており、1961年に熊本県衛生試験場が御所浦住民482人の頭髪水銀を測定しているが50ppm(暫定安全基準)を超えた人が87人いて、最高値は920ppmあった。それは水俣・芦北地区よりも高かった。この920ppmの女性は検診を受けることもなく、亡くなっている。357ppmの患者は10年後にかろうじて水俣病と認定された。
島原・天草一揆(1637年)後の隠れキリシタンに因んで隠れ水俣病といわれたが、隠れたのではなく、隠されたのであった。患者が認定されるまでの初期には熊大の医学生グループや新潟大学の白川医師たちが掘り起こしを行っていた。
現在までに1,400人以上が認定申請して、認定されたのはわずか50人あまりでしかない。そのために被害者の会や水俣病患者連合などの未認定患者運動は盛んであった。1996(平成8)年の和解で大部分の患者が和解した。村人は誰も親切で、島に渡って島の漁村風景や暮らしを見ることは水俣病の背景を知ることになる。
(注:水俣学ブックレット No.3「ガイドブック 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ」より一部抜粋) |