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チッソ水俣工場正門 百間排水口八幡残渣プールチッソ附属病院仕切り網水俣湾埋立地 坪段(坪谷) 湯堂 乙女塚 御所浦島と水俣病
八幡残渣プール水俣川の河口は、戦前は塩田で、製塩などが行なわれていた。
塩浜の埋立て地と水俣川河口側の入江の遠浅の海に目を付けたチッソは、それまで百間港側に無処理で流していた、アセチレン発生に用いたカーバイド残渣を、1947(昭和22)年頃から海面に石堤を築きコンクリートを流し込み、海面埋立プールを作って広大な埋立てを行った。残渣プールがいっぱいになると、さらに沖の遠浅の海にプールを作り、7万5千坪に広がっていった。
1958(昭和33)年頃になると一日200tといわれるカーバイドの残渣埋立てに困ったチッソは、処理費用を安くあげるために嵩上げを行い、カーバイドの残渣だけでなく水銀を含んだ酢酸廃水や硫酸廃水、燐酸廃水なども流し込んだ。もともと、八幡残渣プールは、埋立目的で水分が抜けやすいように設計されていたために、それまで百間港側、百間、出月、湯堂、茂道の方に発生していた水俣病患者が、1958年9月以降、津奈木町、芦北町方面だけでなく、御所浦を始め、対岸の天草を含め、水俣病の原因物質が不知火海全体に広がり、水俣病患者が多発する原因ともなっている有害物質を含んだ広大な敷地(33万m2、10万坪)は、一部を水俣市が買い上げ、ゴミ焼却場として使用し、八幡沖第1、第2埋立地は、チッソが中間処理場や安定型最終処分場として利用しているが、まさに全体が産廃処理場である。

(注:水俣学ブックレット No.3「ガイドブック 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ」より一部抜粋)八幡残渣プール
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