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1977(昭和52)年から水銀ヘドロを処理するため公害防止事業が始まったが、同年12月に、患者ら沿岸住民約2,000人から出されたヘドロ浚渫工事差し止め仮処分申請が認められたため、工事が一時中断された。1980(昭和55)年6月に工事が再開されている。
仕切り網内の水銀濃度25ppmを上回る汚泥は、カッターレスポンプ式浚渫船を用い、大型の電気掃除機を思わせる吸入口から吸い込まれ、埋め立て予定地に排出された。汚泥の上には、合成繊維の布(シート)、格子状のロープ、散水されたシラスが順にのせられ、当初厚さ約1mの山土を入れ、覆土工事を終えた。山土の多くは水俣市の北西に位置する御所浦島の採石場から持ち込まれた。広さ58.2haの埋立地の下には、水銀濃度25ppmを上回る汚泥約151万m3がある。
水俣病の“爆心地”百間排水口のすぐ近くに竹林園が造られ、そこからエコパーク水俣が“巨大な産業廃棄物捨て場”を覆い隠すように親水護岸まで広がっている。
鋼矢板を組み合わせてできた円筒や半円筒形のセルを海底に打ち込み、セルの中に砂を入れて護岸を築造した。鋼矢板の海水による腐食、それによるヘドロの水俣湾内への流失と水銀による汚染が懸念される。
(注:水俣学ブックレット No.3「ガイドブック 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ」より一部抜粋) |