水俣学 水俣学
チッソ水俣工場正門 百間排水口八幡残渣プールチッソ附属病院仕切り網水俣湾埋立地 坪段(坪谷) 湯堂 乙女塚 御所浦島と水俣病
坪段(坪谷)この村に異変が起こったのは1954(昭和29)年頃であった。飼いネコが夜中に突然壁や柱に猛烈な勢いでぶち当たり、跳び上がり涎を流し狂った。しばらくしてこのネコは死んだ。そこで次々とネコをもらって来たが2、3ヵ月で狂って死んだ。そして、飼っていたブタも苦しそうな悲鳴をあげ、立てなくなってしまった。
1956年3月頃から5歳11ヵ月の娘が箸をうまく使えなくなり、ご飯をこぼすようになった。4月になるとふらふら歩きになり、言葉がはっきりしないようになって、夜鳴きして不眠、嚥下障害がみられた。4月21日、チッソ附属病院を受診し、23日には入院したが、手足はほとんど麻痺状態となった。時折、全身の痙攣が襲った。姉が入院した日に2歳11ヵ月の妹が膝や手の痛みを訴え、歩行がふらふら動揺し、手でものを掴んだり、箸を使ったりすることが不自由となり、言葉が不明瞭となって29日に同じく入院した。
母親の話によって隣の5歳4ヵ月の女児が同様の症状であることを知り、附属病院の小児科野田兼喜医師、細川一院長は5月1日、「原因不明の中枢神経疾患が多発している」と水俣保健所(伊藤蓮雄所長)に届け出た。水俣病公式確認の日である。最初、患者たちは伝染病が疑われ、隔離病棟に移され村八分の状態におかれる。母親は「わたしがネコの病気がこの子にうつったのではないでしょうかと医者にいわんばよかったのに言ったためにひどい目にあった」と亡くなるまで悔やんでいた。差別がつらかったのである。

(注:水俣学ブックレット No.3「ガイドブック 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ」より一部抜粋)坪段
トップページ新着情報水俣病について水俣学学ぶ食べる泊まるモデルコース交通ガイドお問い合わせリンク集
サイトマップ | 個人情報について Copyright(C) 2007 export-japan.com, inc. All Rights Reserved.
水俣教育旅行