水俣学 水俣学
チッソ水俣工場正門 百間排水口八幡残渣プールチッソ附属病院仕切り網水俣湾埋立地 坪段(坪谷) 湯堂 乙女塚 御所浦島と水俣病
湯堂 湯堂は、水俣病患者最多発地区(認定患者160人以上)の一つだが、胎児性水俣病患者が多数生まれた地区として特徴的な地域である。
湾口が、100メートルたらずの袋湾は台風がこないかぎり、波立つこともないといわれた穏やかな海で、イワシのような回遊魚の休息と産卵に絶好の場所であった。また、湾の入口には、真水が沸き出る所があり、ボラの子どもがよく群がっていたともいわれている。1877(明治10)年ころの湯堂は、7~8軒の集落であったが、水俣肥料工場(現チッソ)の新工場建設にともない、天草から移り住んできた人々によって、村の人口が増えている。しかし、当時の天草の人々は、「島んもん」とさげすまれ、漁師の中でも別扱いをされるという差別も存在したといわれている。
湯堂でも1953(昭和28)年ごろから魚や水鳥などに異変がみられ始め、やがてネコが次々に狂い死にし、とうとう人間にも異変がみられるようになった。海に面したわずか30戸の中で、7人の胎児性水俣病患者や9人の小児性水俣病患者が発生するなどの特徴的な被害が出たのである。

(注:水俣学ブックレット No.3「ガイドブック 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ」より一部抜粋)湯堂
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